SYOUETSU
KANEHARA
当社は、1988年2月に京都府久世郡久御山町に小さなお好み焼店をオープンしたところから始まりました。当時20歳の私にとっては、経験もノウハウもない中でのチャレンジでした。無謀なチャレンジだったのでは?と言う方もいるかもしれません。しかし、今の弊社があることを考えればあの時チャレンジして良かったと心から思えます。
社員の皆さんのことは家族同然の存在だと思っております。
そのため、社員同士のコミュニケーションをとても大切にしています。社員旅行やBBQ、同期会、女子会など、社員からやりたいと声が上がったものは全て実現しております。しかも交際費は全て会社持ちです。笑
また、研修などの人材育成にも力を入れております。社員の皆さん=会社の“宝“です。こちらにも毎年多くの費用を投じております。先行投資と言うやつです。
昨今、日本の景気も良くないせいか真面目に働いている方が損をする、そんな時代が訪れています。しかし、それではいけないと思います。弊社は一生懸命な社員が気持ちよく働ける、頑張っている社員は頑張った分だけお給料が上がる、真面目に頑張っている人間が”得”をする、そんな会社でありたいと考えています。
そして、皆さんにお伝えしたいことは興味のあることや気になったことには、失敗を恐れずとにかくチャレンジをしてほしいです。失敗から学ぶことは多くありますし、チャレンジをしたという“経験”が大切です。実際に私もチャレンジをして失敗ばかりしております。笑
一度きりの人生、失敗を恐れずチャレンジしてください!
最後に、近い将来皆さんと一緒に笑顔で成長できることを楽しみにしております。テイルでお待ちしております。
代表取締役 金原 章悦
1988
当社の始まりは1988年、社長の金原章悦が20歳の時に独立したことがきっかけです。
自ら常連様の顔や名前を憶え接客し、焼き場に立ち、社員やアルバイトの教育を一生懸命行いました。3店舗を超える頃から自分1人では限界があると考え、育てた信頼ある社員を店長に立て運営しました。1997年の株式会社テイル創立の時には、店舗は5つまで展開しており、まさに順風満帆でした。
当時は完璧主義かつ売上主義のトップダウンの経営でした。
2009
41歳の時、くも膜下出血で倒れました。なぜ会社がうまくいかないのか、経営者とはどうあるべきか、どのような組織を作りたいのか…。病室でずっと自分自身のこと、会社のことを考えました。「経営者として勉強しなくては」。
この事がテイルにとっての大きなターニングポイントになりました。
「経営トップはどうあるべきか」「組織を一つにすることの重要さ」を学び、『環境整備』を導入し、また『経営計画書』も作成しました。ここからテイルは生まれ変わる道を歩み始めます。
2015
『環境整備』と『経営計画書』を推し進めました。金原の中で「どこを目指すか」「どうあるべきか」の命題に対する答えを見出していきました。
目指すべき姿や方向性は経営理念や長期構想書に、どうあるべきかについては各種方針等に示しました。
『環境整備』と『経営計画書』を軸とした経営改革を続け、それまで社長が1人で作ってきた『経営計画書』は幹部たちの意見が少しずつ反映されるようになりました。今では30を超える方針が明示されています。
Future
共通の価値観のもとで意思決定がなされ、スピーディーに実行へ移す組織へと変化しました。
『経営計画書』で示される方針は、現実とのギャップ・お客様の声・従業員の声、また成功や失敗事例をもとに、時代の変化に合わせて書き換えられています。顧客に新しい価値を提供し続ける組織の考え方の基準となるものです。
人材教育にさらなる圧倒的投資、社員コミュニケーションを圧倒的サポート!
女性ならではの社内制度を追加予定、さらなる圧倒的働きやすさの実現!
チャレンジしたことを評価する圧倒的環境。
失敗を恐れず、やらぬ後悔よりやる後悔!
会社名 | 株式会社 テイル |
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所在地 | 〒611-0031 京都府宇治市広野町茶屋裏8-3 レジデンス大久保駅前ビル1階 |
店舗名 | お好み焼・鉄板焼 きん太 |
設立 | 1997年 3月 |
代表者 | 代表取締役 金原 章悦(かねはら しょうえつ) |
資本金 | 1,000万円 |
従業員数 | 社員 100名 パート・アルバイト 700名 |
店舗 | お好み焼・鉄板焼 きん太 25店 |
事業内容 | お好み焼・鉄板焼 きん太の経営及びフランチャイズ契約に基づく お好み焼・鉄板焼 「きん太」の経営管理指導ならびに業務用食品の製造と販売 |
取引金融機関 | 京都信用金庫 商工組合中央金庫 京都銀行 滋賀銀行 京都中央信用金庫 みずほ銀行 りそな銀行 百五銀行 三菱UFJ銀行 |
決済期 | 12月 |